目指すべき人材像「無敵の民」

保守的な日本で働くという事

仕事に対する能力、まじめさという点で考えてみると、
日本は非常に能力高く、
先進国として常に最先端の技術で世界を渡り歩いてきたといっていいでしょう。

日本の技術は世界各国で様々なものを作りだし、
また発展途上国においては技術力を提供し、
ビジネスシーンを広げています。

しかしグローバル化という事に関しては、
先進国といえないような保守的部分をもっています。

島国に暮らす人の気質、悪く言えば島国根性ともいいますが、
この気質が影響してるのか、他のなにかが入ってくることを極端に嫌う傾向にあります。

仕事の仕方等、合理的で画期的な仕組みをどんどん取り入れている海外と比較すると、
日本はいつまでたっても日本式、「変化」を恐れる日本人気質が色濃く出てしまいます。

しかし現在、海外から高い能力を持った有能な人材が入っている中で、
これからどのようにその能力を引き伸ばしていくべきなのか、
企業の力としていけるのかという事を考えると、
いつまでも日本式でいるわけにいかないのです。

グローバル化が進まない日本

グローバル化が進んでいる、必要性が高くなっているといわれながらも、
実は日本式にとらわれ新しい事が入ってくることを恐れている日本の企業、
その中でも大企業などは大革新を進めているところも出てきています。

いつまでも日本式に拘っていると日本企業全体が停滞する、
しっかりと本当のグローバル化を考えて進んでいくべきという事に重要性を感じているのです。

実は政治についても日本は保守的といわざるをえません。

各国が将来の事を考慮し早い段階から子供たちのグローバル教育を行い、
その効果がめきめきと現れているのに、
日本はグローバル教育についてもほとんど進んでおらず、

その為こうした魅力ある教育を行う私学に親たちが殺到し子供たちを入学させようと躍起です。

何もかもが後手に回っていると感じられる中で、
この先、「無敵の民」という考え方をもって様々な事を行動していくことが重要なのです。

パーソナル・グローバリゼーションを日本人としてどのように進めていくのか、
そこにセルフ・パーソナル・グローバリゼーション、
無敵の民という目標が出てくるのです。

無敵の民とは何か

無敵の民とは何か、これについてはフリードマン氏が伝えています。

かけがえのない、若しくは特化した人達、つまりその世界で超一流とされる人、
選手、アーチスト、様々な世界で特化した能力を持ち、
その魅力はグローバルな人気を持っている、
また報酬についてもグローバルであるという方々こそ無敵の民であるとしています。

また地域に密着ししっかりと錨をおろしている人、
つまり特定の場所で仕事を行い、その地域において特別な深い知識を持っている、
顧客とのつながりが深く交流がある、技術や労働に対する能力に関係することなく、
地元に深く精通している人も無敵の民です。

更にミドルクラスの仕事をしていたという方々も無敵の民です。
データ入力や組み立てラインの労働など、代替できず、
海外のやり取りもできないと考えられていた業務に
従事する人々をミドルクラスの仕事をしていた人としています。

最近はこうした代替えという作業、
仕事に関しても海外とやり取りする事が可能となっているため、
グローバル化が急がれる人材です。

日本においてどのような無敵の民が必要なのかというと、
やはりミドルクラスの仕事をしていた人に対するグローバル化という事になるでしょう。